2009年1月3日土曜日

派遣ぎり

Class of 2009、M男です。

明けましておめでとうございます。日本に戻り就職活動をしております。就職市場は、想像以上に激しいことになっています。この辺のご報告はまたあらためて。

年末年始、実家に戻りだらだらと過ごしていたところ(いつもは表層的な議論に辟易する)「朝まで生テレビ」で日本経済の現状についていくつか興味深い議論があったので、いろいろと考えてみることにしました。

日本に戻ってみると「派遣ぎり」とやらで騒いでいるわけですが、いまひとつどういう問題があるのかぴんときていませんでした。「日本でも格差が広がっている」、「小泉改革のせいだ」などとは耳にしてきたものの、「本当かなぁ。」という気持ちでした。

学部時代に自由な市場経済をバックボーンとする近代経済学にかぶれ、現在アメリカで株主価値最大化を旨とする経営学を学ぶ私の立場として、現在起きている現象は市場の調整過程の一過性の事象でしかないという感覚でした。パイを拡大させて、経済を拡大させていくには、近年是とされてきた「政府の役割を小さく、市場原理が働きやすくするために規制緩和させていく」方向は変わらないだろうという思いでした。

今回の不況は、金融技術革新の中で資産価値の実態が把握しきれなくなり、またそのリスクが開示データに反映されなかったことで株式市場が適切に機能しなくなったことや、副産物として国際的に資産バブルが起きてしまったことなど個別の問題が引き金となっているでしょうから、一刀両断に景気悪化の原因を語るつもりはありません。

ただ、経済学的な大きなトレンドを見たときに政策の転換点にあるようです。



『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』中谷 巌

「朝生」で少し触れられて気にかかったので、読んでみたのですが、この本を読むと経済学の視点から近年の大きな流れが整理できます。

中谷巌氏はこの本の中で「新自由主義派からの転向」を告白しているわけで、このことは私にとって衝撃でした。学部時代に「神の見えざる手が全てを調整するので、政府の役割を小さくし規制緩和するべき」と学び、中谷氏も政府の政策委員として規制緩和を推し進めてきただけに、彼の転向は重みがあります。
読んでみると少しセンチメンタルすぎて、転向する理由があまりに感覚的に思えるので彼の転向には納得できませんでしたが・・・学者であるならば、新自由主義の経済政策がなぜ貧富の差を拡大するのかモデル化するなど理論的な観点から議論を展開してもらいたかったように感じます。

さて話はそれましたが、本には、新古典派からケインジアン、新古典派総合、新自由主義の経済政策の「はやり」の移り変わりが歴史的背景と共に説明されていて、非常に参考になりました。こうみてみると経済学の理論的対立も、時代背景の中で政策を通すツールとして使われてきたのだなぁと感じます。と同時に、私はマーケットの調整機能を中心にする広義の意味での近代経済学は今後も変わりなく政策の中心であり続けると思いました。また、そのマーケット機能の基礎となる、金融に媒介された株主価値最大化の経営思想は肯定され続ける(批判的に金融資本主義とでも呼ばれているものでしょうか)と考えました。

アダムスミスの「神の見えざる手」から始まる市場機能信望は、厚生経済学の基本定理に結実しています。2つ定理があり、1つめは「需給法則に基づく価格メカニズムを通じてパレート効率性という望ましい資源配分が実現できること(Wikipedia)」であり、市場メカニズムへの政府の介入を否定しています。重要なのは2つ目で「任意のパレート効率的配分は、適当な所得分配を行うことによって競争均衡配分として実現可能である(同)」とあります。

中谷氏は本の中で、この2つ目の定理について新自由主義の経済政策の限界を問いかけています。
「労働者は同時に消費者であり、経営者・資本により搾取された場合需要が喚起されず、企業の収益を圧迫するので経営者は搾取しない。そして、所得の再配分は民主主義により労働者も含めて選出される政治家により決定される仕組みになっている。」これらの前提が市場機能に基づく経済政策のバックボーンであった。
中谷氏はこの前提が適切に働かないので、新自由主義の経済政策はだめだと主張しています。

個人的にはこの中谷氏の主張には納得しかねるのですが、中谷氏は同時にグローバル資本主義経済が厚生経済学の第2定理の限界であると指摘しています。グローバルに分業体制がすすんだ現状では、国境を越えて所得が再配分されることに限界がある点、再配分を決定する政府が国によっては必ずしも労働者の立場を考慮する民主主義に基づいていないことが挙げられています。この点は非常に説得的な議論だと思います。

長くなってしまいましたが、冒頭に挙げた日本の「派遣ぎり」に代表される雇用問題も、厚生経済学の第2定理が適切に機能していないことに集約できそうだと感じるわけです。つまりマーケットの調整機能を前提に経済政策が組まれることは、厚生経済学の第1定理に基づいており否定されるべきものではないと思うわけです。むしろ経済資源を最適に配分するマーケットメカニズムが働きやすい環境は今後も強化していくべきだと思うわけです。したがってMBAで学ぶ株主価値最大化の考え方も「経済の中に組み込まれて走り続ける我々は信じて突き進むレール」として学ぶ価値のあるものだと再認識しています。

経済政策レベルで考えると、マーケットメカニズムは(今回は金融技術革新の負の面がでたため市場機能が適切に働きませんでしたが)経済のサプライサイドの資源配分を最適化している。問題は所得再配分を代表とするディマンドサイドの政策が、適切に機能していない(もしくはグローバル経済の中で限界がでてきている)ことにあると思います。

日本の非正規労働者の割合は34%だそうです。2004年以降製造業に開放された派遣労働者人件費は、物件費用として処理され生産現場に雇用裁量が委ねられているようです。人材を成長の源泉とし終身雇用する日本型経営は、リストラクチャリング発表に好感する株式市場を重視する株主経営のために崩壊しつつあるそうです。雇用が流動化し、労働者がモノとして「取引」される経営はサプライサイドの最適化にはそぐうものかもしれません。しかし、労働者が同時に消費者であることに立ち戻ると派遣労働者の失業は経済活動の停滞を招き、企業経営にも影響を与えます。

とはいえ、各企業は自助努力の中でルールの中で経済活動を最適化しているに過ぎません。マーケットを通じてグローバルに経済がつながっていることで、少なくとも生産が効率的に行われ経済のパイが拡大していることは肯定できることだと感じています。市場主義が悪であるという単純な論理で、企業活動を制約する規制強化という結論にならなければよいのですが。。。景気を下支えするために、所得再配分や雇用安定化などのディマンドサイド中心の経済政策が議論の中心になっていくんでしょうか。。。

大きな政府を志向し、所得の再配分を重視する民主党がアメリカで政権をとったことで、経済政策の潮流が変化するのかもしれません。アメリカのことですから、新興国に内需拡大とそのための所得再配分を行うよう声高に叫びだしたりするかも・・・なんて妄想してみます。

と、だらだらといったわりにはたいした結論ではありませんが、学生のたわごとと思いお許しください。

ちなみに本投稿はM男個人のものであり(ちなみに会社の所属もありませんので)、UNCおよびUNCの学生や、UNC MBAで学ぶ内容とすらあまりかかわりがありません。MBAでこんなオタクの戯言を言う人はほとんどいませんので、安心してアプライしてください。笑

それでは今年もよろしくお願いします。

Posted by M男

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

夏に304A Copperline Drveに住ませてもらっていたJです。お久しぶりです。M男さんの記事を読んで勉強になりました!有難うございました(^0^)

いまbengo修習中で、一日の仕事の大半を表題の件に注ぎ込んでます。
私は会社側代理人なので、取るべきスタンスも遣るべき作業も決まっています。労務リスクを最小化しつつ、取締役会で決定された数千人を切るだけ。
この種のプロジェクトでは代理人の果たすべき役割は大きく、遣り甲斐がある仕事だと言われています。

でも。実際に雇止めやリストラ対象の社員の方にお会いすると、辛くて。
どうにかして継続できるようにしてあげたい。でも、私達にはその力は全く与えられません。
ジレンマな日々です。

匿名 さんのコメント...

Jさん。お久しぶりでーす。コメントいただけるなんて嬉しいです。ご活躍のようですね。実務でいろいろと現実をお感じのようですね。是非今度チャペルヒルでいろいろお話聞かせて下さい。東京には5月に戻りますので、東京でもあいましょう!
M男

匿名 さんのコメント...

全然活躍してません(^^; 
でも、修習というモラトリアム期間を、悩みながらモラトリアムに過ごし、充実した生活を送っています。

5月までの間に、CHに行くことはできそうにないので、ぜひぜひ東京で会いましょう!
霞ヶ関にいるのでいつでもメールください。
楽しみにしてます!