2024年4月16日火曜日

Class of 2024MTです。

時がたつのは早いもので、卒業まで残りわずかとなりました。あと半月ばかりでこの街、この広い青空ともお別れかと思うと寂しくなります。ここではUNCでの2年間を振り返る中で、「海外MBAの価値」について思うことを書いてみたいと思います。もっとも、私の経験はUNC、更にその中でも狭い範囲に限られますので、あくまで一個人の見方としてご容赦頂ければと思います。

【はじめに】
そもそもですが、海外MBAにはどのような価値があるのでしょうか。なぜ我々は貴重な2年間を費やしてまで海外MBAに進むのでしょうか。
よく指摘される海外MBAの価値を大雑把に括ると以下の3点になるかと思います。 

1)  経営に関連するスキルの習得(全般、特定問わず)
2)  多国籍のメンバーと協働する経験(含むネットワーキング)
3)  キャリアアップの機会(含む転職、海外就職)

この内、3)については色々と思うところはあるものの、私は社費生ですので他の記事に譲るとして、1)2)についてみていきたいと思います。

MBAの価値】

1) 経営に関連するスキルの習得(全般、特定問わず)
そもそも「経営に関連するスキル」という言葉が極めて抽象的ですが、ここを掘り下げると細かくなるのでやめておくとして、では「スキルを得る」とは具体的にどういうことでしょうか。とある心理学のモデルでは以下のステージを踏むとされています。

ステージ1:自分が何を知らないか理解していない。そのためスキルの必要性にも気づかない
ステージ2:スキル不足を認識し、意欲的に学習を始める。
ステージ3:スキルを徐々に活用する。
ステージ4:スキルを体得する。

これらの内、MBAはどのステージに当てはまるのでしょうか? 学校や人によりけりかもしれませんが、多くの場合、ステージ12に該当するのではないかと思います。MBAの多種多様な機会は自分の無知を気づかせてくれますし、本人のやる気さえあれば様々な分野に手を出すことが可能です。その一方で、MBAの中でステージ3から4に達することはなかなか難しいかもしれません。これらは実務の中で成功と失敗を繰り返す、辛抱強い道のりを必要とするためです。現場で日夜戦うビジネスパーソンからすれば、ステージ12のような「理論を知っている」段階と、ステージ34のような「ノウハウとして使える」段階は別次元に映るように思います。

もちろん、だからといってMBAの学びを否定したいのではありません。むしろ大いに価値があると考えています。なぜならば、ステージ2まで進んではじめてステージ4まで飛躍することができるからです。

では、ステージ12が海外MBAのメインであると仮定すると、それは果たして海外MBAでなければならないのか、という疑問が生まれます。比較対象として第一に挙げられるのは国内MBAだと思います。私自身は国内MBAに通った経験がありませんので、本来は比較できないのですが、単純に考えると国内MBAでも十分なのではないかと思います。むしろ、私のような純ジャパの方からすれば、英語よりも日本語で学ぶ方が圧倒的に効率が良いかもしれません。(更には、コスト面でも大きな差がありますね)

続いて自学自習する手も考えられます。かつて私の隣の部署の先輩が、「分からないことがあれば勉強すればいい。勉強せずにわからないなどと言うのは怠慢」と言っていました。その言葉を思い出し、この2年間で100冊ほどの書物に手を出しましたが、実際のところMBAで学ぶ原理原則の80%ぐらいは本に書いてあると感じます。また、本だけでなく、今や様々な媒体を通じて学ぶことが可能な世の中となりました。そう考えると、ステージ12は自学自習でも対応可能では、とも思われます。ただ、これは多少理想論のようにも思え、現実的に考えると、様々な分野を体系的に自学自習するのは容易でない、というのが多くの人の悩みになるかと思います。

よって、スキル習得の観点では、国内MBAと海外MBAが同レベル、自学自習は次点、というのが今の私の感覚です。
こと私に関していえば、ステージ12は自分であらかた済ませていました、ということは全くなく、仕事の経験のみをベースとして留学しました。そのため、特に1年目は目が見開かれる思いをしましたが、もしかすると自分が不勉強だったことの裏返しだったのかもしれません。もちろんそれはそれでいい学び・経験になったので、何も知らずに突き進むよりもよっぽど良かったと思います。無知を気づかせてくれ、様々な分野の学習機会を与えてくれたUNCや会社に感謝です。

2) 多国籍のメンバーと協働する経験(含むネットワーキング)
個人的には、海外MBAが差別化される点はこちらの方にあるのではないかと思います。特に、多国籍のメンバーとの協働により、自分の実力不足を痛感すること 価値観の相違に直面すること 将来困ったことがあればこの人に聞こう、という仲間ができること が挙げられます。

まず①については、そもそも留学前に会社で妙な気持ち悪さを感じていたことが背景にあります。当時の私は若手と管理職の狭間のような立場にあり、その中では最も実務経験を積んでいました。そのため若手からはヨイショされ、一方で上司から怒られることも少なく、自分が成長しているのかよく分からないと感じていました。そうした中でいざ留学してみると、自分以外は全員アメリカ人というグループで容赦ない英語の高射砲を浴びたり、齢10近くも違うメンバーから「このオッサン大丈夫か?」という視線を浴びながら汗をたらす経験は、様々な点で伸びきってしまった私のバネを十分に踏んづけてくれるものであったと思います。

続いて②に関して。私は幼少期から日本で暮らし、日系企業で10年も働いたことで既に立派な金太郎飴の一部になっています。これに対し、海外MBAという機会は「自分が思う以上に世界は大きく広がっている」ということを感じさせてくれます。これは何も、言葉の感覚が違う、とか、時間の感覚が違う、とか容易に目に見えるものを指すだけではありません。その根っこにある歴史や文化について知ることで、少しずつ相違を理解することが可能になる、ということです。やや大げさかもしれませんが、ダイバーシティある環境を成り立たせるためにはその生みの苦しみの連続が必要であり、アメリカという国は本当に大変なチャレンジに直面し続け、またこれからもしていくのだな、と感じています。

例えば、私はインド人のフレンドリーさが大好きですが、グループワークは時に困難を伴います。私の感覚では、各自の課題を期日までにやる人は半分くらいで、期限に遅れる(というかやっていない)ことを悪びれません。こちらとしては皆で「やる」と決めたことをやるのは普通であり、できない場合は事前に連絡すべきと思うのですが、どうもそういう感覚ではないようです。しばらくは不思議でしたが、実はそこには背景があるようで、曰く、彼らの中では「できない」と直接的に明示することは自分の弱さを示す恥ずかしいことであると、それならば「できる」と表明しておいて、結果的に「頑張ったけれどもできなかった」という形にする方がよい、ということのようなのです。これにはなるほど、と思わされました。(とはいえ、期限の数日前には共有しているメモに対して、期限前日の深夜になってあれこれ質問されると、「こっちの都合は気にしないんかい」とイラっとしてしまうので、私もまだまだ修行が足りないようです)

最後に③ですが、今後、各国で何か聞きたいことがあればこの人に、という友人ができることは海外MBAの大きな価値だと思います。厳然として残る人種差別について話してくれたアメリカ人、モディを賛美しつつも酒が深くなるとその問題点を切々と語るインド人、日本のユニークな人事制度に興味を持つナイジェリア人などをはじめとして、各国のグローバル人材と様々な話をする関係性が築ける(しかも薄い利害関係で)ことは海外MBAが与えてくれた財産です。それを容易にしてくれるUNCのスモールコミュニティにも感謝しなければいけませんね。

以上、多国籍のメンバーと協働する経験について、その良さを3点述べました。他にも良い点はたくさんあるかと思います。ただし、これらの経験の価値は、究極的には自分ではなく他人が評価するものであるとも思います。たとえ私が自分の経験を高く評価していたとしても、その経験が周囲への態度や行動にポジティブに表れない限り、単なる自己満に過ぎません。ということで、これを自分への戒めとしつつ、今後の仕事を頑張らねばと思う次第です。

さて、他にも思い返すと色々と書きたいことが出てきますが、ここらへんにしておきます。チャペルヒルは本当に良い街でした。天気が良く、治安が良く、自然が多くてとても過ごしやすいです。またいつかふらっと訪れたいものです。

最後に、出願から始まって様々なステージでサポート頂いた先輩方に、この場を借りて感謝申し上げます。


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