2009年5月31日日曜日

Welcome Party

Class of 2010 の *涼です。
現在、東京でインターン中になります。

さて、先日都内にてClass of 2011に入学される皆さんの壮行会が開催されました。アルムナイの方々を始め、卒業されたばかりの2009の皆様とその奥様、 そしてインターン中の在校生が集まり、新しくKFBSのコミュニティに入られる皆さんを歓迎し、 楽しい時間を過ごさせていただきました。時間があっというまに過ぎてしまいましたが、今後はアルムナイネットワークを活性化しようということで盛り上がりました。


幹事を引き受けてくださった方、お忙しいなか集まってくださった皆様、
ありがとうございました。また近いうちにお会いさせていただけますことを楽しみにしております。そして2011の皆さん、UNCのコミュニティを一緒に作っていけることを在校生一同楽しみにしています!

Posted by *涼

2009年5月24日日曜日

アメリカのパーティ事情

Class of 2010のKarinです。


アメリカに来てからの1年、いくつものパーティを経験しましたが、パーティの前に行われるプレパーティはかなりの盛り上がりを見せます。
プレパーティは、特にフォーマルに着飾るパーティの前に行われます。

まず、女子がパーティ開始の3時間ほど前に集合し、ワインを飲みながら、みんなでわいわい洋服を選びあったり、髪の毛をセットしたり、メイクをしあったりします。そしてすべての用意が終わった開始30分前ころにBoysが迎えにきて、一緒にパーティにいきます。

友達が審査員となり、ドレス・イアリング・靴を選んでもらいました。アメリカではやはり“かわいさ”よりも、“セクシー”さが基準となるのです。

“I am on the prowl”(男好き)って感じだからこっちと言われ、選んだドレスとイアリングと靴を身につけ、髪の毛をセットしてもらい、メイクをしてもらいました。そのメイクも驚愕。たっぷり目の回りに緑のこいアイシャドウをつけ、アイライナーなし。これがエキゾチックでよいとアメリカ人の友達には大好評、日本人から見ればオバケのようになってしまいました。




(←女子の部完成!)





2時間後、Boysが次々に迎えに来ました。みなに私のDateの~よ。と紹介され、当然彼氏かと思いきや、アメリカではDate とBoyfriendは違うことを知りこれまたびっくり。Dateはパーティで付き添う人、彼氏になる可能性はあるものの、その日のパーティを楽しむ相手ということでした。






      (→ 迎えに来たBoys)




『プレパーティではしゃくのが実は一番面白い』との感想に同感です。日本でもアメリカでもこういった女の子同士で集まってキャッキャと騒ぐのは同じだなーと感じました。

Posted by Karin





2009年5月20日水曜日

GIE Egypt & Turkey part3

Class of 2010 のT'sパパです。
17日の日曜日にGIEから帰って来ました。
トルコでの話をまだ投稿できていなかったので、ダイジェスト版ですがお伝えしたいと思います。
トルコでの予定は、イスタンブールで3泊、エフェソス(ローマ時代の遺跡で有名)のそばのKusadasiという街に3泊となっていました。
イスタンブールでは2日間カンパニービジットがあったため、観光らしい観光はたいしてできず、バスの中から眺めたり、夜に船に乗ったりするぐらいでした。
一方Kusadasi(現地の人は「クシュダシ」のように発音する)ではカンパニービジットがなかったため、GIE最後の3日間(実質2日間)をのんびりすごすことができました。
(写真はKusadasiで泊まったホテルで撮った夕日です)

さて、肝心のカンパニービジットですが、イスタンブールでは3社+1大学を訪問しました。
まず1社目はPulusa Corporationというコンサルティングと法律事務所とプライベートエクイティをやっているというややこしい会社でした。ここではトルコと先進国との商習慣の違いや投資の際にどういうことを気をつけているかなどのレクチャーを受けました。
2社目はABB Powerという発電用や変圧用の機械・工業用ロボットを製造している会社でした。ABBはもともとスイスとスウェーデンの会社が合併してできた会社で、トルコでも地元の会社が合併されてABBグループに入ったそうです。他の発展途上国と同様に、電力需要が年々高まっているため、ABBの業績も順調に伸びているようでした。が、カンパニービジットとしてはあまり面白くなかったですね・・・
3社目はFord OtosanというFordと地元のKoc Holdingsが合弁で立ち上げた自動車会社です。Fordはトルコでは自家用車は4位に甘んじているものの、中型の商用車ではシェアトップということで、今回訪問した場所も中型の商用車を作る工場でした。プレゼンは普通でしたが、工場見学は作業現場のすぐ近くまで入れてもらえたので、非常に面白かったです。
もうひとつ訪問したのはKoc(コーチ) Universityという大学で、UNCとの提携校のひとつです。現在Kenan-Flaglerにいるトルコ人教授の何人かも、このKoc Universityで教鞭をとっていたことがあるそうです。Economyの教授が出てきて、トルコ経済についてたっぷり2時間ぐらいレクチャーしてくれました。あー、CoreのときのMicro/Macroの悪夢がよみがえって来ました・・・

さて、全体を通して感じたことは、トルコはエジプトと比べるとかなり発展しているということです。ただしその発展は国の西側(首都のアンカラより西側・地中海沿岸)が牽引していて、東側の地域は半ば忘れ去られているような印象を受けました。EU加盟のために急速な発展をしようとしたためかもしれませんが、貧しい人たちの生活水準をどうやって上げていくかということを考えていた(いるように感じられた)エジプトと比べると、その差が余計大きく感じられました。
しかしそんなトルコも現在ではEU加盟にそんなに積極的ではないようです。現EU加盟国側があまり乗り気ではないということが大きいようで、一般的には「トルコはEUが受け入れるには大きすぎる」と言われていますが、トルコ人曰く「自分のことを好きでない人と一緒にはなりたくない」とのことでした。
そんなわけで、長いと思われたGIEもあっという間に終わってしまいました。
インターナショナルの生徒が私一人ということで、かなり疲れましたが、みんないい奴でとても仲良くなったのが一番大きな収穫です。
あとはFinal Reportを書かなくてはいけませんが、なんとか早めに終わらせたいと思います。

(写真はPulusa Corporationのパティオから撮った、ボスフォラス海峡にかかるつり橋です)


Posted by T'sパパ

2009年5月15日金曜日

アメリカ横断

Class of 2010Zi-coです。

訳あってロサンゼルスにいます。訳あって、チャペルヒルからLAまで車で来ました。というのも、実は、LAでインターンをすることになり、LAでは車がないと不便だろうと思い、運転していくことにしたのです。インターンについては次回書くとして、今回は、大陸横断について。チャペルヒルからLAまで距離にして約2500マイル(4000km)、チャペルヒルを通過するハイウェイI-40をひたすら西に、4日かけて横断しました。

51日に試験が終了し、息つく間もないままパッキングを終え、3日朝9時半にチャペルヒルを出発しました。ちなみに、大陸横断の道中は、特に宿をとらず、行けるところまで行く作戦をとりました。というのも、目的地を決めると、雨など思わぬスピードダウンがあると、無理をしてしまい、事故につながりかねないと考えたからです。チャペルヒル出発後、ノースカロライナ州の西の端アッシュビル付近から、激しい雨に見舞われました。お隣のテネシー州に入り、ノックスビル、ナッシュビル(“ビルville”とつく地名が多いのはこのあたりの特徴です)を超え、さらに西を目指し、夜9時前にテネシー州の西の端メンフィスに到着しました。6割強をアフリカンアメリカンが占める南部の都市だけあって、見かけるのはほとんど黒人で、ノースカロライナとの違いを感じました。

次の日は、朝7時半出発です。アメリカ最長のミシシッピ川を越えるとアーカンソー州です。運転しながらふと思ったのが、Arkansasは実は“アーカンサス”と読むのではないかということです。あとで調べると、1881年の議会の決定によって“アーカンソー“に決まったそうです(Thanks, Wiki)。さて、そのアーカンソー州は、途中通った州都リトルロック以外は、ひたすら小麦畑でした。アーカンソー州の次はオクラホマ州です。オクラホマ州に入った途端、牧草地が広がりました。道中、牛を見ながらふと思い出したのが、間寛平氏が今どのあたりを走っているかについてです。あとで調べて分かったのですが、その日はカンザス州を走られていたようです。(オクラホマ州の北側です)そんなこんなで走っていると、テキサス州に入ったところで、後ろから警察が来て、スピード違反のチケットを切られてしまいました。70マイル制限のところを80マイルでした。その日はそれからさらに走り、ニューメキシコ州サンタローザという町で泊まることにしました。特に何もありませんでしたが、きれいに整備された小さな町でした。

3日目は、ひたすら砂漠地帯です。ニューメキシコ最大の都市アルバカーキを越えて、アリゾナ州に入り、日が落ちてくるにつれ、都会が恋しくなり、その日は、ラスヴェガスで泊まることに決めました。ホテルが安いのもラスヴェガスの魅力です。せっかくの華やかな大都会ですが、着いたころにはすでに10時前で、食事を取るやいなや静かに就寝してしまいました。

4日目、いよいよロサンゼルスです。LAに近づくにつれて、運転の荒い車が多くなってきました。チャペルヒルを出て4日目、走行距離2535マイル、総運転時間38時間、ようやく夕陽に輝くサンタモニカに到着しました。

自分がアメリカ大陸横断をするなんて、夢にも思っていませんでしたが、一生に一度の思い出として、非常に良い経験ができたと思います。(帰り道もありますが・・・)

Posted by Zi-co

2009年5月14日木曜日

GIE Egypt & Turkey part2

Class of 2010 のT'sパパです。

GIEはまだ続いていて、今はトルコのエフェソスというところにいます。
エジプトのカイロ、トルコのイスタンブールではカンパニービジットがメインでしたが、エフェソスでは純粋に観光だけということで、あと3日間のGIEを楽しみたいと思います。

今日はGIEの本筋とはちょっと離れて番外編という感じで書きたいと思います。

右の写真はカイロで飲みに行ったときのものです。最初はこの写真の通り、みんな席に座っていました。


が、30分ほどたってみると・・・


みんないなくなっています。
どこにいるかというと。。。



ほぼ全員立って飲んでいます。

常々思っていましたが、アメリカ人は立ったまま飲み食いすることにとても慣れています。 学校のソーシャルでも2,3時間平気で立ちっぱなしで飲みつつ話し続ける人たちです。日本人にはとても真似できません。 こんなところでもアメリカ人らしさを発揮してくれました。
アメリカ人って・・・
次回はまたGIE本編について投稿したいと思います。


Posted by T'sパパ

2009年5月9日土曜日

2年生送別会

Class of 2010のEvans2010です。

2年生の卒業式が明日に迫りましたが、先日、日本人コミュニティによる2年生の送別会が開催されました。
Southern VillageのBBQプレイスにて、最高気温33℃の炎天下の元、BBQを楽しんでの開催となりました。
BBQ後には、男子バスケのNCAAチャンピオンの興奮の余韻もありバスケも楽しみました。
トッププレーヤーの動きを再現!という訳にはもちろんいきませんが、みんなチャンピオンの気分だけは味えたようです。



私がチャペルヒルに来てClass of 2009の方々にお会いしてから約1年が経とうとしている訳ですが、随分昔のことのような、ついこの間のことのような、何とも言えない感覚があります。
2009のみなさん、私がまだアプリカントの頃CVでお世話になって以来、大変お世話になりました。

みなさんの卒業後も色々な形でお世話になることも多いと思いますが、今後ともよろしくお願い致します。

Posted by Evans2010

2009年5月8日金曜日

GIE Egypt & Turkey part1

Class of 2010 のT'sパパです。

Mod4の授業とテストが終了して、5月5日から17日までの予定でGIE(Global Immersion Electives) Egypt & Turkeyに参加しています。
GIEは3月のSpring Break中と5月のMod4終了後に実施されており、地域によって開催時期が異なります。
現在はエジプトのカイロに滞在中で、カンパニービジットや観光の日々を送っています。 Egypt/TurkeyのテーマはGeneral Managementなので、ビジットする会社も多岐に渡っているのですが、昨日はややFinance系に偏っていて、MobiNilというエジプト最大の携帯会社の他は、Egyptian Exchange, Egyptian Institute of Directors(経営者やエグゼクティブに対して、ディスクロージャーの重要性を教育する機関), HSBCエジプトという3社(計4社)でした。(写真はEgyptian Exchangeです)

エジプトは発展途上の国なので、貧困層や成長しつつある層(会社)をいかに取り込んでいくかが企業の成功の鍵を握っているようでした。 どの会社もこの経済状況下でも成長著しいようですが、Egyptian Institute of Directorsのような啓蒙機関がないといけないところがまだ発展途上である証なのかもしれません。
何はともあれ、毎日エキサイティングです。(気疲れもしますが・・・)
ネットの調子がよければ、今後も経過をアップしたいと思います。

(右の写真はカンパニービジット後に夕食に訪れたピラミッドが見えるレストランの庭の写真です)

Posted by T'sパパ

2009年5月5日火曜日

国際人として

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Class of 2009M男です。

はじめに
いよいよ卒業式まで1週間をきり、アメリカ生活も残すところ10日です。ビジネススクールの2年間で新たな発見や学び、人との出会い、(個人的には10kgの減量に成功、笑)など、ブログに書ききれない想いがあります。その中でも、自分なりの視点で何か書ける事はないかと思い投稿しています。
私はビジネススクールに来る前に1年半オーストラリア・シドニーでの赴任経験がありました。昨年のサマーインターンでアメリカでも働く機会に恵まれ、海外生活について、アメリカについて、そして日本について幅広い視点で見ることができたのではないかと思っています。20代後半~31になるまでを海外で過ごした経験をもとに、思うところを最後につづりたいと思います。

ネイティブスピーカー限界年齢
留学される皆さん(特に純ドメの方)にとって、留学中の英語力の向上は非常に関心の深いところではないかと思います。私は、純ドメとしてシドニーに赴任し1年半英語で仕事をし、MBA留学で約2年間英語環境で勉強をしました。他の純ドメの同級生の状況をみても、留学2年間で仕事をおこなうレベルの会話力はつけられるように思います。ただ、スラングなど砕けた会話になじむには、相当の努力が必要だと思います。
では、ネイティブにできるだけ近づくには、アメリカで過ごし始める年齢が関係するのでしょうか。残念ながら大いに関係あるいえます。学部から留学している日本人や、同級生日本人のお子様の英語適応力を見ているとそういわざるを得ません。
右のように英語力に必要な要素をピラミッド化してみると、最終的にネイティブといわれるためには、完璧な発音と「非言語常識」を操れる必要があると思います。非言語常識と勝手に名づけましたが、要は日本でいう「空気を読める」感覚とか高いレベルの文化理解に基づいたスラング・ジョークの使いまわしなどを意図しました。この発音と非言語常識は、若いうちからアメリカで育たないと習得できないと思います。
正しい発音の習得は10歳前後まで、深い文化理解は20歳位までが限界のような気がします。(fluent levelに必要な、文法・語彙・文化理解も相当横に広がりが大きいので、ネイティブを目指さなくても継続的に吸収する必要があります)

キャラと地頭力
では、英語の習得限界がある中で、英語環境で自分の力や性格を100%出し切ることは困難なのでしょうか。これについては、No、と感じています。結論からいうと、言葉はあくまでもパソコンでいうOSにしか過ぎず、パソコン本体(ハード)のスペックが結局その人からのアウトプットを左右すると思います。あえて言うなら、「MacBoot Campを使ってWindows OSを使用する際、メモリーの容量とCPUの処理能力が十分でないと、フリーズが起こりやすくなる」、といった位のところでしょうか。
バイリンガルの人は頭の中でどの言葉を使って考えているかという問いかけを聞いたことがあります。ヒトは脳内で言語という具体的なツールを用いて思考せず、抽象化された脳内信号で思考をしており、外界にアウトプットするときに初めて言語に転換されるという答えだったと思います。つまり言語はあくまでもフィルターに過ぎず、Output performanceはその人が持つ根本的なCompetencyに依存すると言い換えることができると思います。
MBAの授業での成果にしても、ネイティブスピーカーが必ずしも高い成績を残せるわけではありません。Class of 2009の成績上位20%が発表されましたが、うち33%がインターナショナルスチューデントでした(Class of 2009のうちinternational student30%弱)。我々日本人からも成績上位者がでました!地頭力は言語に関係なく発揮されるようです。
これは何も能力面でのoutputに限らず、その人のキャラクターにも言えます。その人の本来的な性格は、言葉に左右されることなく、むしろ表面的な言葉に包み隠されていない分、より強く周りの人に評価されるように思います。

人間勝負
これらの地頭力やキャラの重要性は、シドニーで働いているときから感じていました。仕事についても、言葉ではなく、その人の能力・タイプが仕事の成果に大きく影響していました。そして自分とは何か、自分の能力とタイプはどの程度か、いやというほど知らされます。
海外では、母国で得た学歴やバックグラウンドなど、表面的な看板を理解してくれる可能性はかなり低くなります。その中で、お互いに「その人がどういう人か、何ができるか」ということを理解しあい、生産性を高めてあっていく。まさに裸一貫の人間勝負。シドニーで感じ、そして、アメリカでも一段と強く感じました。
たとえ言語を完璧にできるようにならなくても、アメリカ人になれなくても(笑)、海外で仕事・勉学することは大きな意義があると感じています。

アメリカとダイバーシティー
なりたくてもなれないアメリカ人(笑)。アメリカという国、そしてそこにいる人とはどんなものなんでしょうか。日本とはどこが違うのでしょうか。オーストラリア、アメリカと海外生活を送ったこともあり、アメリカという国について、そして日本について3国を比較しながら考える機会に恵まれました。
人種の坩堝。誰もがそう称するアメリカ。その国にあって、ダイバーシティー(多様性)という考え方が全ての行動原理に徹底されていました。ビジネスクールの学生についても、留学生の割合、マイノリティーの割合、女性の割合、キャリアバックグラウンドの多様性、など、様々な指標でダイバーシティーを守ろうとしています。大学の受験選抜では学力を基準にスクリーニングされるなど、同質性を重んじる日本のシステムとは全く逆の発想です。大学に限らず全ての社会システムにこのダイバーシティーが徹底されているように感じました。
UNCでは(おそらく他の学校でも)、GLBTという同性愛者の権利を守る活動が活発で、この点にも様々な価値観を守ろうとするアメリカ人の姿を感じました。そして、これらの多様なものを一つに纏め上げ、国の推進力としていく様は、黒人初の大統領オバマ氏が「One」というスローガンでアメリカ人の支持を受け大統領に選出されたことにも現れていました。
オーストラリアも移民からなる多様な人種の集まりでしたが、社会システムと人々の価値観におけるダイバーシティーの浸透の程度が全く異なると感じました。いろんなものを飲み込んでいくアメリカの底力は想像以上で、どの国も真似できるものではないと思いました。

日本人として
一方で、ダイバーシティーが重んじられる社会だからこそ、異質な価値観を目の当たりにし、自分がこれまで築いた価値観が脅かされると感じることもありました。ダイバーシティーの度が過ぎることについての違和感についてアメリカ人の同級生に話したときに、「そういう社会にあって、親の教育が非常に重要」と答えてくれました。「『何でもあり』の環境でも、educatedな人は道を外さず生きていく」というニュアンスと解釈しました。アメリカで生まれ育っていないので、この点について「その通りだ」とは納得し切れませんでした。違った価値観への適応力・柔軟性について自信がありましたが、同質性を重んじる日本で育ったせいか、保守的な自分の考え方に気づかされました。
99%の人口が日本人の日本では、多様性に対する意識が非常に低いと思います。これからの人口減少、労働人口の減少で、女性の社会進出を一層サポートする動きはあります。しかし、外国人などの多様性の受け入れを今後どうしていくかについて、日本人の意識がアメリカ並みになることは私が生きている間はないように思います。
海外生活を通じて日本人であることの誇りも感じました。アジア人が比較的軽く見られがちなシドニーでも日本に対する食いつきは相当なものでしたし、MBAの授業で日本のビジネスが取り上げられることは相当数に上りました。日本は、経済・文化・政治のレベルではアメリカにも引けをとらない恵まれた国だと海外にきて改めて感じます。

国際人として
アメリカ人にはなれない(当然ですが。笑)、英語はnativeレベルにすることはできない、ダイバーシティーについての考えで限界を感じる。そんな中で、私は海外生活を通じてどう成長したのかと自問自答した結果、「日本をベースとする国際人」として生きていける立場になったという結論に至りました。
変化に直面していく日本で、世界に誇れる日本で、異質なものを受け入れる「考え方を理解できる」立場で、国際共通言語としての英語を使えるレベルで、自分の持てるものを発揮していける。海外生活を通じて、そんな自分になったのではないかと感じています。
(右チャートは、私が考える理想の国際人)

おわりに
MBAというとキャリアのためにビジネスを学ぶ場で、MBAを得たことによる金銭的リターンが中心に語られることが多いと思います。私もそういった視点で、10年以上に渡りMBAを想いつづけ卒業にいたりました。しかし、ここで書いた海外生活での経験は、単純な投資リターンだけで語れない大きな財産です。MBA留学は、いろんな側面で自分を成長させてくれる素晴らしい機会でした。

長いエントリーになりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。

UNCで出会った皆さん、本当にありがとうございました。今後もお互い刺激し合える仲でいましょう!
受験生の皆さん、MBAはキャリアだけでなく、人間的にも大きく成長できる素晴らしい環境です。合格を信じて頑張ってください。UNCでご縁があれば最高です!
前職でお世話になった方々、そして家族のみんな、進学をサポートしてくださり、ありがとうございました!

2009年5月3日日曜日

STAR for NextRay

Class of 2010 の *涼です。

Mod3-4にかけて履修したSTAR (Practicum Project)もついに終了しました。

私たちのチームが担当したクライアントはNextRayという新しいX線診断技術の
商品化を目指す、UNC Medical School発のベンチャーでした。
医療機器を商品化するには臨床試験を行い、FDAの承認を得る必要がありますが
これには莫大なお金が必要となります。また商品も現在のプロトタイプは
実用で使えるレベルに達していないという現実があります。そこでチームは主に、
Fund raisingとTechnology developmentにフォーカスした調査と提言を行いました。

チームは名門Princeton 大学出身(GMAT 770)で元entrepreneurの2年生を
リーダーとし、 MBAの1年生が私を含め3人、アングラの3年生が2人、ヘルスケア
業界の外部アドバイザー1名という構成でした。自分以外は全員アメリカ人男性
という チャレンジングな環境で、英語で劣る私はなかなかディスカッションに参加
できなかったり、チームメイトのようないい貢献ができなかったり、落ち込むことも
ありました。それでもチームに助けてもらって何かを残した4ヵ月だったように思い
ます。 チームメイトはみな本当に優秀かつエキサイティングな人たちで、
彼らのうちの3人が NextRayを代表してRice Business Plan Competition という
著名なケースコンペティションに 参加したのですが、なんと2位に入り、約1500万円
の賞金を獲得するという快挙を 成し遂げたのでした。Medical School発ベンチャー
とMBA Program がCollaborateし、 さらにアングラメンバーのうち1名は
ビジネススクールではなくSchool of Journalismの学生、 という学部の垣根を
超えたUNCのコミュニティ全体に渡るcollaborationが導いた成功という点で、
学校全体で話題になりました。コンペに出なかった私も、多くの友達や教授から
チームにCongratulations!と言われて嬉しかったです。
http://uncnews.unc.edu/news/business/unc-nextray-team-places-second-in-prestigious-rice-university-business-plan-competition.html

クライアントへのファイナルプレゼンが終わり、授業としてのSTARを完了した今、
チームへの感謝の気持ち、そして終わって少し寂しい気持ちになっています。
当初、迷った末の参加でしたが、ここには書ききれないくらい色々なことがあり、
やはりやってみて良かったと思っています。

Posted by *涼